23 August 2005

パキラの声

調子が悪そうだなぁと思っているうちに、パキラが次々に葉を落として、幹だけになってしまったのが1ケ月ほど前。あぁ、枯らしてしまった、またもや自己嫌悪。でも、すぐに捨て去ることができずに、幹だけになった状態に水やりだけは欠かさずにこの1ケ月を過ごした。

そしたら・・・!
今朝、根元のほうに一箇所、幹の上部にもう一箇所、新芽が出ているのを発見! 今日は朝からうれしくてたまらない。

パキラは今、我が家に2株ある。そのひとつが今回復活を見せてくれたパキラ。初めてのひとり暮らしの部屋に、初めてやってきた緑だった。15cmにも満たない小さな苗は、直径が5cmほどの小さな植木鉢に植えられて、下北沢の雑貨屋さんの店先に並んでいた。テレビの上にちょこんと載るほど小さかったのに、10年の間にいつのまにか1.5m近くに育ち、我が家でも古株の観葉植物として大事な存在になっていた。

もうひとつは、会社で枯れそうになっていたパキラを、数年前に『入院』と称して引き取ったもの。2年ほどでようやく、葉をたくさんつけたバランスよい株に戻った。

2つのパキラは、茎の伸び方や葉のつき方の癖が異なり、並べると好対照でおもしろかった。おそろいの鉢に植えて、いつも並べて置いていたから、片方だけになるとさびしい。植物って、いなくなるとその存在感がより際立つ。さびしく幹だけになっていたパキラもそうだった。

植物とともに暮らしていていつも思うのは、『観察すること』の大切さ。ものを言わない植物たちは、自分の体調を葉っぱの色や茎のしなり方などで精一杯にこちらに語りかけている。それをちゃんと見て植物たちの体調を把握してあげることが、まずなによりも大切。不調のサインに気づいてあげることが、私にとって植物を育てることの第一歩だった。

不調のサインに気づきながらも、ちゃんとした処置をしてあげられないうちに、ついには葉を失ってしまったパキラが、まだまだがんばるよ!と新芽をつけてくれた。パキラの生命力に、感謝の気持ちでいっぱい。みずみずしい小さな小さな緑。まだまだ小さな新芽を大切に見守りながら、元の雄姿に戻してあげよう。

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08 August 2005

慣れは禁物

grapes2ブルーベリーの木が枯れた。
庭に3本植えてあるブルーベリーのうちの1本が枯れてしまった。果樹の木は、雌雄の木をそれぞれ、または、違う種類のものを2本以上植えなければ実らないものが多い。ブルーベリーもその類いなのだが、枯れてしまった木は自家結実性という嬉しい特長を持つ1本だった。植えた翌年からきれいな白い花をたくさんつけて、朝食のヨーグルトにちょこっと彩りをそえる程度に実をならせて楽しませてくれていた。

敗因は? たぶん私の乱暴な剪定のせいだと感じている。植えて数年たったので、そろそろ剪定してもよいかなと昨年の秋に初めて剪定した。その際に強く剪定したのがいけなかったのだろう。水遣りのたびに、新芽が少ないなぁ、動きが鈍いなぁと気にはなっていたが、ついに枯れきってしまった。

剪定というものは、結構むずかしい。3年ほど前にも、大切なヒドコート・ラベンダーの剪定に失敗して枯らせたことがある。イギリスのアイデンクロフト・ハーブスというナーセリーを訪れた際に購入した種をまいて、開花するまで育てた自慢のラベンダーだった。時間をかけて育て、初めての花をつけたときは、園芸冥利につきるというか、涙が出るほど嬉しくて、宝物のように大切に思っていた苗だった。

ブルーベリーもラベンダーも、はじめのうちは恐る恐る大切に接していたのに、数年たって株も大きくなり、我が家の環境にすっかりなじんだふうの様子を見て安心した私の気持ちがいけなかったのだとも思う。植物というのは、案外デリケートで、おっ、調子がいいなぁと思って安心してほかの植物に気をとられていると、急に具合が悪くなったりする。

毎年実っていたレモンの木も、今年はなんだか不調。ここ何年か順調に花を咲かせ、実をつけているので、私のなかにレモンに対する慣れの気持ちがあったせいな気がする。アゲハチョウがひらひらと舞っているのを窓越しに見ながら、今日は日焼け止めを塗らずに過ごしたいなぁと自分勝手な理由をつけて、葉っぱを食い尽くす幼虫退治にいそしまなかったのもいけなかった。

grapes1そんなことを思って、植物に対する誠実さがかけていた最近の私に自己嫌悪。でも、そんななか嬉しい実りを見せてくれたのがぶどう。

今年はぶどうが好調。去年も実のたくさんついたひと房をつけたのだが、いつのまにか3粒だけ残してほかは落実。その後、巨峰の色になりきらないまま消えてしまった。今年は、実のたくさんついた房が何房もぶらさがっているのを初夏にみつけ、その後も順調に実をふくらませながら育っている。

がっかりしたり、嬉しかったり。

枯れる原因はいろいろあれども、慣れの気持ちをおこさずに、いつもきちんと向き合っていくことが植物と暮らすことの大前提。今年ももう8月。そろそろ秋植えの球根が気になるころ。また初心にもどって、植物に向き合っていこうと思わせてくれたブルーベリーの昇天だった。(2枚目の写真はまだ粒が小さかった、6月のぶどうの様子)

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24 May 2005

ジェイミーの食育

ジェイミー・オリバーが、学校給食を憂いて動き始めたらしい。彼も今や二児の父。自分の子どもが学校で何を食べるのか気になり、その実態を知って動かずにいられなかったのだろう。去年、在英の日本人の女性からお聞きした、英国の子どもたちの食生活の話しがとても印象深かったことを思い出した。

ジェイミーはかなり積極的に動いていて、すでにロンドンの30校ほどを実際に訪ね、子どもたちや給食担当の人々の教育をしている。さらには政府にも、もっと学校給食のことをちゃんと考えて、費用もかけるべきだと働きかけているそうだ。イギリスの学校給食が子どもひとりあたりの一食分にかける材料の費用はわずか35~37Pらしく、ヨーロッパのどこかの国では1ポンド以上はしっかりかけているというから、その差はとても大きい。

そんな彼の働きをまとめたテレビ番組も放映されたそうだ。“THE INDEPENDENT”に関連記事がある。

そういえば、15年以上前にロンドンのイギリス人のあるご家庭にホームステイさせていただいた時に、子どもたちが自分でランチボックスを準備することに驚いた。そして、その内容・・・クリスプ、チョコレートバー、小さなリンゴ1個(もちろん洗わない)、オレンジ色のシロップを水で薄めたオレンジジュース・・・にもっと驚いた。

と、ここまで書いていたら、テレビにジェイミーがスーパーのSainsbury'sのアスパラのCMで登場。またポッチャリしたみたい。3~4年前の滞在中の新聞で、『あなたがファッショナブルだと思うのは?』という特集があり、トップ10とワースト10が紹介されていた。ワースト10上位に顔を出す人は、トップ10にもランクインしている場合が多く、ベッカムもそうだった。しかし、ジェイミーはワーストの上位に位置しているにも関わらず、トップ10には名前がない。セレブ・シェフながら、『ダサ』系と映っているんだなぁと笑った。

学校給食のプロジェクトは社会の受け止め方も反応も上々で、さっそく効果が出ているらしい。ジェイミー、がんばれ!






24may-1今日のランチは、トラディショナル・イングリッシュ・ブレックファースト。写真のような一皿+トースト+紅茶のセットで、ブレックファーストという名前ながら、一日じゅういつでもオーダーできる。やはり、滞在中はこれを一度は食べないと気がすまない。

24may-2お昼を食べながら窓の外を見ると青空。今日は“heavy shower”という予報だったはずなのに。よかった!

24may-3これはチャイナタウンでのピータン入りのお粥。じわーっとおなかにあたたくしみわたって疲れがとれる。食後に出てくる無造作に切ったオレンジも嬉しい。

このお粥もいつも同じお店でやっぱり毎年食べている。なんてワンパターン・・・。


24may-4チューリップがだいぶ開いてきた。

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17 April 2005

花束の贈りもの

bouquetあるご縁で、ハーブ研究家として有名な先生の横浜のご自宅におじゃまさせていただく機会を得た。先生に直接お会いするのも初めて。しばらく前から少し緊張しながら、その日を迎えた。

ところどころに薄紫の花をつけたローズマリーがうねうねと枝をのばし、ガレージ脇にはヒメツルニチニチソウが茂り、庭からもさまざまな木の枝がこぼれるようにのびている一軒の家。玄関前は甘い花の香りが満ちている。かわいらしいブルーの扉から、きれいなピンク色のシャツを着た先生が出ていらした。

居間に入るとテーブルの上に飾られた花が目に入る。ブルーのブリキの水差しに入った、お庭に咲くいろいろな花を摘んでまとめた小さな花束。茎の根元から摘んで、葉っぱごとまとめてあるので、グリーンの濃淡がやわらかさを添えている。同行させていただいた年上の女性とともに、そのやさしい色のかたまりに見入った。

帰り際にこの花束をおみやげに頂いた。私たちふたりのために、朝摘んで花束にしておいてくださったそうだ。ブリキの水差しからそっと持ち上げると、花束はちゃんと2つに分けられていた。

自宅に戻り、水切りをしてガラスの器に飾って改めて観察。淡いグリーンのクリスマスローズ、ツルを長めに切ったカロライナジャスミン、濃い緑の葉もきれいなヒメツルニチニチソウ、八重、黄色、レモンイエローのミニスイセン、ムスカリ、ワスレナグサ、カモミール、スノーフレーク、スミレ、ローズマリーなど、数えてみたら17種類。

この花束のみずみずしい元気さは、4日たった今日もそのまま。どれも生き生きとしている。持ち帰った時にはつぼみだったカロライナジャスミンも開き始めた。

見事なバラやユリの入った華麗な花束も嬉しいけれど、こんなナチュラルなやさしさにあふれる花束もとても嬉しい。目にとまるたびに、花々が育っていたやさしい庭がその延長に見えるような気がする。イギリスのコテージガーデンの中にダイニングテーブルがあるような錯覚をおぼえながら、ここ数日を過ごしている。

violet
←お庭を案内しながら先生が摘んで
 大切に手渡してくださったニオイスミレ。
 その名は『プリンセス・ダイアナ』。









citrus

      大きいほうはグレープフルーツ。
      種から育てたのだそう。すごい!
      味が濃く、びっちりと実がつまっていて
      とてもおいしかった。       →

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09 April 2005

流行というフィルタ

季節がらか、植物がらみの内容が続いているが、今回もまた植物について。

christmasrose1
christmasrose2
植物、園芸の世界にもファッションと同じように『流行』がある。流行にのり、注目された植物は、外来種も含めてたくさんの品種が雑誌などで紹介され、店頭に並ぶ。さまざまな形、色合いのものを入手できる機会が増え、認知されていく。最近はクリスマスローズに注目が集まっていて毎年クリスマスローズの展覧会も開かれている。

毎年5月に英国で開催されるチェルシー・フラワー・ショーにも、その年その年のトレンドがある。おそらく流通的なもくろみから作られた流行もあるに違いないが、毎年の流行を見るのはとても面白い。その対象は、植物の種類、花の色、葉の色、ガーデンの構成、園芸用品など多岐にわたる。定番的人気で、大きなブースいっぱいに毎年紹介されるものももちろん存在する。

一方、大した注目もされないままの植物たちも多い。今後、なにかのきっかけで急に脚光をあびるものたちも、きっとあるのだろう。

私の庭でも、注目もされず、大した愛情も注がれぬまま、淡々と育ち、ツルを伸ばしてきた植物がある。少し高い位置にある花壇からはうようにツルが伸びればきれいかな、という程度の思いで何株が購入した。植えた年も翌年も花をつけなかったので、2年目に初めて花が咲いたときは育て冥利につきるというか、嬉しさが込み上げた記憶がある。なのに、開花した写真さえ残っていない。ほっておいても元気に育つので、伸びすぎたツルを切ることにばかり注力していたほど。

vinca
その植物とは、『ヒメツルニチニチソウ』。学名では『ビンカマイナー』、英語名では『ペリウィンクル』と呼ばれる。ヒメツルニチニチソウを調べる機会を得てから、現在、愛情が急上昇中。

『花が咲いたよ!』と言わんばかりに、開花中は茎を直立させてアピールし、花が終わると茎は直立をやめて静かにはう。冬の間もたまご型のつやつやとした葉が美しく、古代ローマ時代から人々の暮らしのなかで愛されてきた歴史も持つ。含まれる成分には、脳を健康にする働きがあって、ヨーロッパではそれを目的に飲用されているという。ヒメツルって、こんなにかわいかったんだなぁ、今までごめんね、という思いでいっぱい。

こんなことがあり、庭に育つ植物たちをすみずみまで観察してみた。グランドカバープランツという役割を果たしながら伸び放題のグレコマは、けなげな小さな花をつけ、3年前に植えた球根花はひょろひょろとした茎を伸ばして精一杯の花を咲かせている。枯れたと思って放置していたフェンネルもふさふさとした葉を伸ばしている。

元来ヒネクレモノを自負する私は、ガーデニングブームのなか、頑なに『園芸』という呼び名を用い、定番的な植物、自分の視点で花色を選んできたつもり。昔から育てているものも大切にしてきたつもり。しかし、無意識のうちに流行というフィルタを通して接していたのかもしれないなぁと、庭を見ながら今改めて思う。リビングルームから一番よく見える場所に、クリスマスローズがたくさんの花をつけて揺れているんだもの。。。


※クリスマスローズは、私たちが『花』と認識している部分が実は『がく』にあたります。そのため、『花』の開いたような状態が長く続き、楽しめる期間が長いのが魅力。また、日かげで育ち、どんどん株が大きくなるのも、園芸家にとって嬉しいことのひとつかもしれません。

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03 April 2005

記録すること

hyacinth日中は窓を開けていても気持ちのよい季節になった。朝、カーテンを上げ、窓を開けると、庭からヒヤシンスの香りが部屋の中に入り込んでくる。

今年も白とブルーのヒヤシンスの花がいっぱい咲いた。いつも白とブルーのタイミングが微妙にずれるのだが、今年はぴったり同時期! たくさんの球根をまとめて植えたので、今はヒヤシンスの存在感が主役になっている。

そう、花の咲く時期というのは、タネや球根の入った袋や、本に書いてあるとおりにはなかなかいかない。そのタイミングは、植物個体の性質にもよるし、その年その年の気温やお天気、育つ環境にもよるから、自然にまかせるか、せめて自分の庭の環境について経験を重ねるしかない。

背丈や色を考えて選んで植えても、同時に咲いてくれないと思いどおりにならない。想像だけ大きくふくらませて苗やタネ、球根を選んでいると、いつも同じ失敗をする。葉っぱが多い庭になってしまうのは、そんなことも理由の一つなのかもしれない。

今の家に引越しした時に、庭の記録ノートを作った。どこに何を植えてどうしたいのか、見取り図も書いた。庭を見て何か気付いた時、庭いじりをした時になんでもノートに書き留めた。その頃は、エンゲル係数ならぬエンゲイ係数がとても高い月が続いていたなぁ。

何度も作り直し、やり直しを重ねて、一昨年あたりから今の庭の姿に落ち着き、その頃からノートへの書き込みをあまりしなくなった。でも、新芽の動き出す時期、花の咲く時期、虫たちが元気に活動を始める時期は、今でもノートを開く。どんな園芸書よりも参考になる生きた記録。

ノートに書き込まれていない植物、ノートにはあっても庭からはなくなった植物が増えたことに改めて気付くこの頃。やっぱり『記録すること』をきちんと続けよう、と思う春だった。

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12 March 2005

春のはじまり スノードロップ

snowdrop2毎年春いちばん花を見せるスノードロップが咲きそろい、もうそろそろ終わり。追ってミニアイリスも咲きはじめた。どちらも背丈の低い楚々とした様子がとてもかわいらしい。白花と黒花のクリスマスローズも大きなつぼみがふくらみ始めている。花よりも葉っぱが茂る割合の高い私の庭が、唯一華やぎを見せるのがこれからしばらくの短い春の季節。

スノードロップに初めて会った記憶は、20年近く前のイギリスのトーキー(Torquay)で。ホームステイした家のお母さんと毎夕、犬を連れて林や森のなか、海辺を散歩していた時のことだったと思う。 大きな木の根元にぎっしりと生えていたのがスノードロップだった。

小さく可憐なスノードロップにすっかり魅了されて、球根を求めてすぐにガーデンショップを探したが、もちろん季節はずれの探しものはみつからなかった。その後、日本に戻って忘れていたころにトーキーから小さな包みが届き、なかにはスノードロップの球根が入っていた。

母の庭に大切に植えた、そのスノードロップは発芽率が低く、花が咲いたのはほんの少し。母も本でスノードロップを見てからずっと欲しかった植物なのだとあの時話してくれて、ふたりで宝物のように小さな花を眺めた。スノードロップも今ではすっかりポピュラーな植物となり、日本の園芸ショップにたくさんの球根が売られていて、八重のものや、大花のものまである。100ほどのハイブリッド種があるそうだ。

snowdrop1
その姿に魅了されるスノードロップには、素敵な伝説がいくつかある。花言葉(希望、慰め)にまつわるアダムとイブの話し、花色にまつわるドイツの言い伝え、幸運をもたらすロシアの話しなど。どれも、スノードロップを好きにならずにはいられないかわいらしい話しばかり。

日本で売られているスノードロップの多くは、Galanthus elwesii(ガランサス・エルウェシー)という種類。イギリスにはGalanthophilesと呼ばれるスノードロップ愛好家たちもいるらしい。彼らはスノードロップの季節になると花を求めて、各地のスノードロップ詣でをするとか。コッツウォルズの園芸家にお聞きした話し。

今、あるお仕事で植物の伝説などを調べに国会図書館へ通っている。目的とする植物にまつわる文学や伝説、歴史を求めてたくさんの本を閲覧していると、つい脱線しそうになる興味深いことにたくさん出会う。植物ってやっぱり深い。

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04 March 2005

植物のチカラ

060305仕事にからんだブログとは別に、自分の好きなことばかりにふれるブログも始めることにした。

いつの頃からか、植物なしの生活は考えられなくなった。ひとり暮らしの小さなベランダで育つハーブたちを、じっくり観察していた頃からすっかりはまってしまったようだ。そういえば、小学生の時の自由研究で道端の雑草をスケッチした小さなノートが、実家の押し入れから出てきたっけ。植物との関わりはたぶん母の影響も大きいのだろう。最近は、開花時期を報告しあいながら、どちらの庭のほうがどんな植物に条件がよいのか、真剣に話すのが毎春の恒例となっている。

育てるだけでなく、植物にはいろんな楽しみがある。身近なところでは、元気に育ったルッコラをサラダにして味わったり、茂りすぎたラベンダーを刈り取ってお風呂に入れて香りを満喫したりして楽しむ。
他にももっとある。英国の文学では、登場人物の性格を暗に示すために植物の名前をセリフに閉じ込めて、花言葉で人物の性格を伝えているものもある。また、古代ローマ時代から伝わる不思議なおまじないもある。一生かかっても調べきれないこと、知りつくすことはできないであろうことがいっぱい。植物の持つチカラっておもしろい。

また、植物は私に素敵なご縁をたくさんくれた。ふとしたご縁で毎日新聞社さんのサイトでコラムを書かせていただいた。そして、その延長で広がった多くのご縁は本当に大切な宝物となっている。そう、植物がくれたチカラ。

英国の大学に留学していたこともあり、もともと英国好きな私。その私を毎年英国に必ず連れ出すのも植物がらみ。今年は以前からお会いしたいと切望していた著名な英国のハーブ研究家ともお会いできそう。植物のチカラにますます感謝の日々なのである。

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