26 February 2006

歌舞伎の楽しみ方 2

3つの道成寺 <異なる見せ方を楽しむ>

玉三郎さんと菊之助さんの二人道成寺を見た。1月の藤十郎襲名披露公演はなんとなくチケットを取り損ねていたので、今年最初の歌舞伎座。2月のお目当ては、もちろん『京鹿子娘二人道成寺』。昨年9月の雀右衛門さんの豊後道成寺、10月の玉三郎さんの人形振り道成寺に続いて、また異なる道成寺。年間通じてこういう見方ができることも、歌舞伎の魅力のひとつ、楽しみ方のひとつだと思う。

雀右衛門さんの豊後道成寺は昨年ここでも書いたが、85歳の雀右衛門さんの初々しくかわいらしい清姫の『舞』を堪能。10月の玉三郎さんの人形振り道成寺では、人形になりきってもさらに美しさの際立つ、その所作に見入った。女性らしい丁寧な動きというのはこういうものか、と歌舞伎に行くたびに再認識させられる。

人形振りという点では、個人的には実は、玉三郎さんよりも薪車さん(竹志郎改め)の船頭のほうがよかった。からだの動き、まゆげの動きなど、人形がそのまま人間サイズに大きくなってしまったよう。船頭役の薪車さんが動くたびに、拍手を送りたいほどだった。

さすが玉三郎さん。玉三郎さんの清姫だけを観るために来ているお客さんもまわりにたくさんいて、最後に舞台が明るくなり、舞台いっぱいの川を泳いで渡る迫力ある清姫にため息がもれていた。

そして2月の道成寺。一昨年に玉三郎さんと菊之助さんの組み合わせで上演されたものの再演だそうだ。私にとっては初めての二人道成寺。玉三郎さんにはほかのどの女形の役者さんも及ばない、という思いを無意識に持ちながら舞台に向かう。

ふたりが登場する前のくだりが楽しい。道成寺の鐘供養の日、お寺のお坊さんたちがずらりずらりと登場する。同じ格好のお坊さんたちが口々にものを話す様子は、バスツアーで歩くおばさまがたの一行みたい。大衆芸能らしい歌舞伎の一面を見せてくれて、こういう雰囲気も楽しい。「舞」とは何かについて語る、言葉遊びも楽しい。韻のふみかたにシェイクスピアに通じるものがある。

玉三郎さんと菊之助さんの舞は、最初は無意識の贔屓目で玉三郎さんの足の動きや手の所作含めた美しい舞に目が奪われていたが、途中、玉三郎さん一人、菊之助さん一人になって舞うあたりから印象が変わってくる。どちらが出ているのかわからなくなるほど、菊之助さんはすばらしかった。

もう一度観たいと思ってしまう。月初めに一度ひととおりの演目を観て、観たい演目だけを目当てに月後半にもう一度観る、ということを毎月できたら幸せだなぁと思いながら帰途についた雨の夜だった。

<追記>

『和楽』の三月号に、道成寺物の芸談とかつらについての記載があることを、うっかり見落としていたので、追記。

『京鹿子娘二人道成寺』は、女形の華やかさを披露できるように清姫を二人で踊り分けるというかたちにして登場したのだそうだ。こころとからだ、陰と陽をそれぞれの清姫が演じ分けている。

『京鹿子娘二人道成寺』の踊り手として大切な要素は三つあり、ひとつめが動かずに所作を見せる(静の中に魂の動きが求められる)、ふたつめが華やかに動いて踊る、みっつめが、踊りでものがたりを見せる、踊りで語れるということ。

玉三郎さんは、どの役柄を演じ、踊るときにも、その役柄の奥に一つの魂の流れを通して持つよう心がけているのだそうだ。だからこそ、表に出さずに、心に秘めたものを、見ている私たちとともに情緒的な時空で共有できる。

和楽には、『坂東玉三郎が語り継ぐ 美の遺伝子(ミーム)』が連載中。四月号では、母親役、声についてのお話し。

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22 December 2005

歌舞伎の楽しみ方 1

<目当ての演目に集中して楽しむ>

今年はコンスタントに歌舞伎を観た年だった。お芝居やコンサートなどのほかの舞台にも行くから、振り返ってみると毎月かなりの数を楽しんでいたんだなと思う。今年は仕事も結構忙しかった。仕事が忙しいときは、目当ての演目だけにはなんとか間に合うように歌舞伎座へ行く、ということも多かった。そういう見方もイイもんだ、と知った。

今日の予定は? と毎朝、家人と話す。今日は打ち合わせの後、夜は歌舞伎。ウフフ と言うと、キミも好きだねー、徹夜明けでよく元気だねと笑われる。確かにそうなんだけど、舞台に向かう時間が私にもたらしてくれる活力というのはとても大きくて、どんなに忙しいときでも歌舞伎などに通うことがやめられない。

今年の歌舞伎は、たまたま一階席の一列目がとれたりしたので、座る場所による楽しみ方の違いなども改めて実感しながら観れたように思う。今年も終わってしまいそうなので、今年後半の歌舞伎の感想をメモしておきたい。

九月の歌舞伎座 『勧進帳』

吉右衛門さんの『勧進帳』がすばらしいらしい。そんなことを友人から聞いたり、何かで読んだりしているうちに、やはり9月は夜の部も観なくてはいられない気持ちになった。昼の部の雀右衛門さんですっかり高揚してしまった感もある。

急いで松竹のサイトを見る。9月は旅行の予定もあるし、夕刻の打ち合わせも多いのでなかなか日取り設定が難しい。ということで、一つめの演目はあきらめて、勧進帳の始まる時間になんとか間に合いそうな千秋楽の席を確保した。

・・・・・・!!!

幕間に動けなかった、というのは初めての経験。それほどに吉右衛門さんの弁慶はすばらしかった。幕がひけて拍手をやめた瞬間に、お隣の知らないおばあさまと思わず手をとりあってしまいそうなほど、顔を見合わせて一緒にため息をついてしまう。

あたたく豪快な吉右衛門さんの弁慶には、三階席にまで伝わる気迫がある。気づいたら、私も弁慶の気持ちになりきって義経を隠し通すために無我夢中。たぶん、歌舞伎座に座っていたお客さまも皆、弁慶と同じ空気を発しながら舞台を食い入るようにみつめている、すごい一体感のある千秋楽だったのではないだろうか。

吉右衛門さんの弁慶とともに、富十郎さんの富樫がこれまたよかった。吉右衛門さんと富十郎さんは昼の部でも息の合うコンビだったが、この二人の組み合わせの勧進帳は、私にとって今までのベストかもしれない。

富樫という役は、今まで若めできれいな配役ばかり観ていた。なんだかのっぺり冷たい感じのする富樫。なぜ弁解を見逃したのかわからない。今ひとつ感情移入できなかった。

だが、富十郎さんの富樫は違う。弁慶の思い、義経の悲しい境遇をぐっと呑みこみ、見逃す富樫。動きやセリフが少なく、すっくと立つ姿。静かな静かな存在感のなかに人間味があふれていた。

ワイドショー的で申し訳ないのだが、私は富十郎さんを今まであまり好きになれなかった。かなり年の離れた女性と結婚し、子どもに恵まれた際の会見で、まだまだ二人目も・・・、という満面のおじいちゃん顔に生理的に気持ち悪いと思っていた(あぁー、失礼でごめんなさい)。

しかし、今はもう違う。富十郎さん万々歳だ。こんな方を魅了したずいぶん年下の女性とは、きっと特上で素敵なひとなんだろうなと思う。感動して動けなかった幕間の終わりごろにこんなこともぼんやり考えていた。

・東京新聞で、九月の『勧進帳』について話す吉右衛門さん
 http://www.tokyo-np.co.jp/00/mei/20050827/ftu_____mei_____001.shtml

・渡辺保さんの『勧進帳』評
 http://homepage1.nifty.com/tamotu/review/2005.9-1.htm

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09 October 2005

「舞」の歌舞伎

9月の歌舞伎は、今までとちょっと違う楽しみ方をした。新日屋さん企画による講座を歌舞伎座地下食堂で聞いてから、そのまま一階席で観劇。この企画は、歌舞伎座メールマガジンの告知で知ったのだが、違った視点を頂けるよい機会となり、舞台とともに大満足した。

講演者は青木房江さんで、イヤホンガイドの解説者としておなじみ。日舞の世界では、坂東流のお名取の名前「坂東勝芙紗」で知られている方だそうだ。私自身はイヤホンガイドをあまり使わない派で、さらに日舞にも詳しくないので、初めてそのプロフィールなどにふれるきっかけとなった。

講座では、青木さんが中学生の頃から日舞に真正面に向かって極めていらした道のり、その後の中村雀右衛門さん師事、イヤホンガイドを始められたきっかけなどのお話しを聞いた。9月は、雀右衛門さんの『豊後道成寺』を楽しみにチケットをとっていたので、まさにピッタリ!の内容。

『豊後道成寺』は浄瑠璃仕立ての道成寺で、8年ぶり、3回目の上演となる。今までに何度か『京鹿子娘道成寺』は観たことがあったが、この道成寺は初めて。古典復活の試みとして、雀右衛門さんが昭和57年に初めて踊ったものらしい。

唄と踊りだけのシンプルな舞台ながら、雀右衛門さんのかわいらしい清姫が、途中その様相を変貌させながら舞う姿に釘付けとなる。今年85歳になられる雀右衛門さんは、立っているだけでもしっとりとした女性らしさが醸し出され、踊る姿にはかわいらしさも艶もある。媚のない美しさ、女っぽさで、福助さんよりも私は好きだ。真の女性らしさとはこういうものなのだ、と改めて思った。

講座のなかで青木さんは、「舞踊とはからだで描くpoem」なのだと話された。そのお話しをそのまま実感できるような雀右衛門さんの『豊後道成寺』。「舞」の解釈で歌舞伎をもっと観ようという視点を頂いたように思う。

一緒に行った友人が事前に、演劇界の別冊『四世 中村雀右衛門の世界』を貸してくれたので、なんとも恵まれたお膳立てのうえでの観劇となった9月。さらに、9月は夜の部にもうひとつ必見の演目がある。やはり観ずにはいられまい。観れば観るほどにはまる歌舞伎の魅力なのである。

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30 July 2005

シェイクスピアと歌舞伎

『NINAGAWA 十二夜』。
シェイクスピアと歌舞伎の2つの組み合わせが歌舞伎座で上演される! 演目発表があってからずっと心待ちにしていた。

シェイクスピアと歌舞伎といえば、1991年に新大久保の東京グローブ座で面白い公演があった。染五郎さんがハムレットとオフィーリアの二役をこなす歌舞伎の『ハムレット』と一緒に、浄瑠璃の『テンペスト』、狂言の『フォルスタッフ』が、シェイクスピアへの新しい試みとして上演されたのだ。3つのシェイクスピアは、歌舞伎、浄瑠璃、狂言にぴったりとはまっていた。

あのとき、シェイクスピアに登場する恋愛模様、怨念、復讐、思い違い勘違い、幽霊といったものは、歌舞伎のものたがりに登場するものとよく似ているんだなぁと気づかされ、小躍りしたいほどワクワクした。14年前のこのワクワクした感覚探しは、その後もわたしの趣味嗜好の方向性に色濃く残っているように思う。 (この3つ、ぜひもう一度再演してほしい)

当時のわたしはシェイクスピアの面白さに少しずつ目覚め始めたころで、東京グローブ座で上演される、英国の劇団のシェイクスピアものに足しげく通っていた。難しい古い英語の舞台に、見栄をはってイヤホンガイドなしに挑んでそのまま寝てしまったり、歴史ものに面白みをなかなか見出せず、ジーンズシートをはりきって確保しながら、『リチャードⅢ世』の台詞を子守唄に寝ほうけたり。そんな高い授業料を払い続けて得たのは、「シェイクスピアの喜劇って最高!」ということだった。

そして、7月の歌舞伎座公演は『十二夜』! シェイクスピア喜劇である。菊五郎劇団、特に菊之助さんの新たな挑戦としてシェイクスピアが選ばれ、蜷川幸雄さん演出が実現した。

鏡がはりめぐらされた舞台、ハープシコードの音楽、小さな子どもたちのキリシタン風コーラス、こまめにゆったり(やや、もったり)と交替する廻り舞台。ふだんの歌舞伎とは微妙に異なる舞台演出はもちろん面白いものであったが、なんといってもすばらしかったのは、脚本と、菊之助さん、菊五郎さん、左團次さん、松緑さん、亀治郎さんなどの役者陣だったと思う。蜷川さんらしさというのものは、わたしはよくつかみとれなかった。

歌舞伎に比して断然に台詞の量が多いために、全体的にはお芝居を観ているような箇所も多々あったとも思う。歌舞伎に姿を変えながらも、原作に実に忠実に書かれた脚本は、シェイクスピア喜劇の軽快なことば遊び、おかしみを、テンポそのままに生き生きと残していた。

以前、世田谷パブリックシアターで観た、野村萬斎さんの『まちがいの喜劇』もよかった。つくり手、演じ手がシェイクスピア・コメディ・ワ-ルドにすっぽりとはまり切っている。本物のシェイクスピア、本場で観るのと違わないシェイクスピアの真髄を堪能させてくれた。

今回も最高にハッピーな気分で歌舞伎座をあとにした。こんなにハッピーなシェイクスピア喜劇、なんだか久しぶりに観たような気がする。目にもまぶしい色づかい、奥ゆかしき和ことばといった歌舞伎らしさと、シェイクスピア・ワールドとの見事なマッチング。思い返すたびに、帰り道にふと、にやりとしてしまった。

6月のコクーン歌舞伎『桜姫』よりも、わたしにはしっくりなじんだような気がする。

歌舞伎座 七月興行情報

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13 June 2005

事実は真実の敵

松本幸四郎さんの『ラ・マンチャの男』を観た。中学生の時に帝国劇場で観て以来。実に25年以上ぶりだ。キャストの顔ぶれはほとんど変わり、上条恒彦さんだけがそのまま。他界された小鹿番さんに変わる佐藤輝さんのサンチョも、あたたかさのにじみ出る愛すべき人間らしいサンチョだった。

思いがけず前から3列目という良い席に着き、思い出をたどりながら舞台に向かう。今の私に飛び込んでくるメッセージやシーンは、中学生の頃の私に深く印象を残したものとは異なっているのをぼんやりと感じる。

本を読む、映画を観る、お芝居を観る・・・ということ。もちろん面白かったり楽しかったり、娯楽の要素もあるが、それだけが動機ではないように思う。

人はいつも何かしら疑問や不安や葛藤、テーマのようなものを自身のこころのなかで繰り広げている。その時その時で、悩むこと、答えが欲しいものはさまざま。20代の頃の私は、映画のなかにそのほとんどの答えを見出していた。映画を観ると不思議なほどに、その時に心のなかで自問自答している答えにぴったり出会う。

ウディ・アレンの『カメレオンマン』という映画がある。ウディ・アレン扮する主人公のZeligは、まわりに過度に同化してしまうこころの病を持つ。人に嫌われたくない、まわりの人に受け入れられたい、そんな思いが大きすぎて、自分の近くにいる人々の外見にまでそっくりに変化してしまうのだ。ドイツにいるときはヒトラー似、中国に行けばあっさりしたオリエンタルな顔に早変わり。

この映画は、三鷹オスカーという名画座で大学生のときに初めて観た。人に合わせることの度合いって難しいなと悩んでいるときだった。そんな悩みが大きく大きくなったものが、目の前のスクリーンで極端にデフォルメされて繰り広げられた。映画が終わって三鷹駅に立ったとき、すっきりにっこりしていた感覚をよく覚えている。映画を観て、人に合わせるという行為の度が過ぎることの愚かさを知り、自分なりの ものさし を得た。

『ラ・マンチャの男』のドン・キホーテは歌う。「夢はみのりがたく ~略~ 道は極めがたく 腕は疲れ果つとも 遠き星をめざして 我は歩み続けん ・・・」 たくさんのつらい現実を見、経験したセルバンテスは、妄想を追い続けて狂人と呼ばれるドン・キホーテと自身を行ったり来たりしながら、気高い心を持ち続けて夢を追い続けることの大切さを私たちに説いた。

『事実は真実の敵』 と、セルバンテスは言った。ありのままの人生(事実)に折り合いをつけて、あるべき姿(真実)のために戦わぬことこそが狂気であると。

まこと、真実、本物、本当って何? 根っこがないまやかしに嫌悪感を抱き続けているこのところの私。舞台の上で精一杯に夢を追って生きるドン・キホーテに、今回もまたもや大切な答えをもらってしまったようだ。

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12 May 2005

趣味の恩人

十八代目勘三郎襲名披露の四月公演を観た。四月の夜の部は、毛抜(けぬき)、
口上、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)という演目。

毛抜とは、なんとも滑稽な他愛のない話しで、始終ニヤニヤとしながら見た。病後、歌舞伎座に初めて復帰された団十郎さんの気風のいい真面目な太い演技がぴったりで、それがさらに笑いを誘う。

口上は、ずらりと並ぶ役者さんたちの話しぶりやその内容に、改めてそれぞれの役者さんの持つ個性を感じる。襲名披露というものに、観客として同席できることはなんて幸せだろうといつも涙してしまう。

そして、籠釣瓶。しばし真っ暗になった場内。静かに幕があき、パッと舞台に照明があたる。目の前に急に開ける吉原の街の華やかな彩りに、場内から思わずため息がもれた。勘三郎さんの次郎左衛門ももちろんよかったが、私は仁左衛門さんと玉三郎さんの艶っぽさ、美しい立ち姿と所作に目が行ってしまってばかりだった。

私が歌舞伎を面白いものだと意識し始めたのは、中学生の時。NHKの大河ドラマ『黄金の日々』の主役、呂栄助左衛門を演じる六代目市川染五郎(現九代目幸四郎)さんを大好きになり、それを知った父の知り合いが、六代目染五郎さんが出る国立劇場の歌舞伎のチケットをプレゼントしてくれたのがきっかけだった。

初めて観る怪談ものの歌舞伎。青白い舞台の井戸の前で繰り広げられる出来事を本当に楽しんで観た。この時に、歌舞伎って面白い、と中学生の私にインプットされてしまったようだ。

その後、高麗屋三代襲名披露という大きな公演が歌舞伎座であり、小学生の妹と中学生の私と二人で出かけた。歌舞伎座の前の人ごみに混じって開場を待つ、あの時の高揚した気持ちは、20年以上たった今でもはっきりと覚えている。

初めての歌舞伎座で観る、初めての助六。助六の頭にまいた紫の布の色、高い下駄を履くあでやかな花魁、舞台全体が発色しているような、今までに接したことのない色の組み合わせ。何もかもが新しくて美しい。そして、九代目幸四郎さんの助六が粋でかっこいい。子どもながら、幸四郎さんって脛(すね)がなんてきれいなんだろうと思いながら、舞台をみつめたことを思い出す。

その後、三階席専門で歌舞伎座に気軽に出かけるようになった。一回目の幕間には三越の地下で買ったお弁当や歌舞伎茶屋のおでんを食べ、次の幕間では小倉最中かくずきりを食べる。残りの時間は歌舞伎座の中をうろうろと歩く。歌舞伎座は何度行っても心が躍るほど楽しい。

呂栄助左衛門の幸四郎さんは、私に歌舞伎の楽しさを知るきっかけをくれた。スウィーニートッドやラ・マンチャの男、アマデウスなどで現代劇の面白さも教えてくれた。そこから発展して、狂言、英国のシェイクスピア劇、ロイヤル・バレエなどのさまざまな舞台に、毎月何度も出かけることが趣味になった。

幸四郎さんは、私の『趣味の恩人』なのかもしれない。

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